HELLO WORLD 64 振り返れば



本日、2011年1月19日、2:00a.m.
修士論文のために、アクリルガッシュ(絵の具)を使った。

6年半ぶりに。

2004年7月に、美術予備校に通い始めるとき、買った。




***




高校時代は、ただただバレーボールをやっていた。
将来の明確な夢なんかなかった。毎日楽しければ良かった。

夢もないのに、プライドだけは高かった。
「疲れ顔の奴隷みたいな、サラリーマンにはならない」

夢とか語るやつはガキっぽいって見下してた。
「『僕は将来パイロットになりたい』なんて、Aのやつバカじゃねえの?ムリに決まってるじゃん」

そうやって他人を否定することで、自分の夢を諦めようとしてたんだと思う。
挫折ばかりで、自分を肯定なんてできなかった。



***


創って暮らしたかった。

小さいころから、絵ばっかり描いていた。
最初はスライムとかピカチュウとか。ゲームのキャラ。
ドラクエのキャラは大体描ける。
絵を描くこと自体も楽しかったし、
「絵、描いてー!」と、友達に言われるのうれしかった。
そのうち、教科書の人物、友達の似顔絵も書き始めた。
小学生までは、本当に、描いてばっかりだった。


中学になった。
運動が苦手なことがちょっとコンプレックスだった僕は、バレー部に入った。
変わりたかったんだと思う。
美術部は、なよっとしたイメージで嫌だった。変われないと思った。
美術部に入らなくても、どうせ、美術は5だ。

そうしているうちに、周りがどんどん上手くなっていった。

鉛筆、色鉛筆、水彩絵の具しか使えなかった僕と
日本画用、油絵用、彫刻用…専門の画材を使いこなす周り。

絵が得意と言えなくなった。
絵を描かなくなった。
「創ること」と「自分」は交わらなくなった。


高3の夏。進路を決めろという。そんなこと考えたことない。
「本が好きだから、文学部にでも行こうかな」
「それか、理系クラスだったし、建築学部でも行こうかな」

この言葉は嘘だ。創りたい。自信はないけど。
美大に行きたい。もう、絵は描けないけど。

親と担任に打ち明け、美術予備校に通わせてもらった。
平面構成とデッサンを黙々とやる場所。
周りの学生ははるかに上手だった。
けど、
そんな場所に戻ってこれたことがうれしかった。

入って3日目。
とうもろこしのデッサン。

「デッサンをしたことがない」というと、「とりあえず描いてみな」と講師は言う。
久々の鉛筆画だ。うれしい。たのしい。やっぱり楽しいよ。
上手く描けた。
自分で言うのもあほらしいが、ひさびさに描いたとは思えないほど、上手く描けた。

講師が、学生の全員の絵を、壁に貼って講評。

周りの学生の描き方は、デッサンに忠実で上手だった。
自分は、デッサンの絵ではないが、負けてないと思った。

講評は散々だった。

「この絵はデッサンじゃない。ダメだな」

受験に受からない絵だから、ダメだと言う。描き方を変えろと言う。
美大に受かりたい人は、「はいじゃあデッサンの絵にします」といえるんだろう。
僕は言えなかった。

確かにデッサンの絵じゃない。
けど、上手いんだからいいだろう。
アーティストになろうとしている人間なのに、
みんな一緒で画一的なのは、変だろう。

結局、僕は美大進学をやめた。
学費の面もあるが、なによりこのとき感じた違和感を消化できなかった。

また、創ることが遠くなった。

代わりの大学は、「国立」「センターのみで受かる」「一人暮らしできる」の条件で選んだ。
京都工芸繊維大学デザイン経営工学科を選んだのは
「デザイン」という文字が入っていたから。条件はもちろん当てはまり、実技もなかった。

入ってみると、プロダクトデザインもしくは建築(+インテリア)をやれた。
僕は、建築を専攻した。
ただ、この学科は建築を専攻しても、建築士の資格を取れない。

創ることは、僕が嫌いみたいだ。

3回生の就職活動。

スキルがなくても、創ることができるもの。
(今考えれば失礼だが)映画なら、
大学3回時点で、学生同士にスキルの差はないと思った。

東映の最終面接にこぎつけた。

最終面接は、待合室が一緒で、8名ほどの学生と話していた。
「ずっと映画館でバイトしていて、年に500本見る」
「自主映画を撮影している」
気後れ。スキルなくていいとか、バカじゃねえの。クズだわ僕。
映画が本当に好きで、努力もしてる、こいつらが受かるべきだ。自分よりも。
そんな気持ちで、最終面接を投げやりに受けた。
もちろん落ちた。

創るとはもう縁がない。やっぱり自分なんか。

就職活動を続ける気力はなかった。院にでも行って、その後普通に働こう。
2年後の就職活動は失敗できないから、なるべく箔のつきそうな大学に行こう。
創ることに関係ない、良い大学に行こう。

東大院を受験した。

結構ガチで勉強した。

でも、落ちた。







不思議と、腹が定まった。



「やっぱり創ることしかない」

普通にサラリーマンになんてなれないんだ。
創ることで、今まで挫折の繰り返しだったのは、努力してなかったから。
付け焼刃でスキルもなにもなかったから。

今からするしかない。

京都工繊の院に行って、必死に創った。
建築もインテリアもプロダクトも出版も事業も、とにかくやった。

この幅広さを武器にして、広告会社に内定した。
アイデアを創っていける。
自分がどれだけ手がけられるか分からないけど、
それでも創ることに関わっていける。




そして、数日前の人事面談。








「サカシタくん、クリエイティブに興味ない?」












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こじ

かみさまの御告げが来たね~キタタタタタ←(゚Д゚,,)→タタタタタァ
by こじ (2011-01-21 12:46) 

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